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2008.02.29

うるう年は・・・

今日、2月29日は4年に一度のうるう年であることは、周知のことかと思いますが、うるう年は必ずしも4年毎に1日付加されるわけではないことはご存知でしょうか?

原則的に、Photo西暦年が4で割り切れる年は、うるう年となりますが、例外その① ただし、西暦年が100で割り切れる年は平年である。 例外その② ただし、西暦年が400で割り切れる年はうるう年、と1582年グレゴリオ暦にて制定されました。従って西暦2000年は例外その①及び②に当てはまり、②が優先されるため、平年だったのです。うるう年に関してはオリンピックイヤーかつアメリカ合衆国大統領選挙の年、と覚えていられる方も多いと思いますが、日本では、うるう年の算定を神武暦によって行うことが、法令(勅令)で定められていることを、ご存知でしたでしょうか・・・センターでも平成16年度高齢利用者カードに添付した写真を4年ぶりに更新することとなり、本日が面接の最終日となっています。 (画像はセンター屋上に掲示してある2016年オリンピック招致ポスターです)

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2008.02.27

*祭りのあと・・・

昨日、隅田川一帯を散策したところ、台東リバーサイドスポーツセンター横の隅田公園で2月23(土)~24(日)の両日、梅祭りが開催されていたことがわかりました。Photo_2 Photo_3 梅は遣唐使がもたらした花木で、平安時代になると貴族の流行となり、和歌にも詠われ、学問の神「菅原道真」による『東風吹かば・・・』の歌と『飛梅伝説』は有名です。現在、隅田公園では春の訪れを知らせる梅を植栽して「梅めぐり散歩道」を整備しています。Photo_4 Photo_5 Photo_6 Photo_7<隅田川と春>を並べると、滝廉太郎による合唱曲『花』の旋律を、誰もが自然に思い浮かべることと思います。公園内にはその碑が刻まれ、歌詞からは手漕ぎ舟の行き交う、のどかな隅田川の原風景が偲ばれます。Ca390055 Photo_11

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2008.02.25

下町まちしるべ その3

先週は浄閑寺本堂外観と山門を紹介しましたが、山門手前にある説明版により、投込寺と呼ばれた所以がわかります。山門は江戸時代に建立されたもので、荒川区の最古の木造建造物として指定を受けています。境内の中に足を踏み入れると左手に霊廟が見え、お寺の史蹟について列記されていますので参考となるでしょう。霊廟の中では新吉原総霊塔、永井荷風の詩碑、三遊亭歌笑塚、ひまわり地蔵尊、等が建立されています。 Photo_8 Photo_9 Photo_10   Photo_5

Photo_12 三遊亭歌笑は戦後の人気噺家で爆笑王とも称されました。妻の実家が檀家である関係で葬られています。 ひまわり地蔵尊は山谷で労働に生き労働に老いてひとりで人生を終える人々が死後の霊を慰めるためにと山谷老友会により、昭和57年に建立されました。錫杖の代わりに持つ右手のひまわりの花は、太陽の下で一生を働きぬいてきた日雇労働者のシンボルの意味合いが込められています。1_5 1_6

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2008.02.22

*下町まちしるべ その2

「音無川と日本堤」 音無川は王子で石神井川からわかれていました。その昔、清流は三ノ輪橋をくぐり、浄閑寺の西側にそって、山谷掘をへて隅田川にそそぎました。音無川にそって三ノ輪橋から昇天町(現浅草7丁目)まで続く土手を日本堤(吉原土手)といいます。安藤広重の『名所江戸百景』(上段右の画像)に描かれた堤も今はありません。浄閑寺前の三叉路の最も南よりの道路がその名残です。Photo_5 Map 2_2 Asakusaedo Photo_6 Photo_7 Photo_8 現在の地図と江戸時代絵図(1850年前後)を並べてみると絵図では音無川が一番上32に、真ん中26には新吉原、33の三ノ輪町から25の山谷堀にかけて日本堤が描かれています。画像下段左は説明文にある三叉路、中央が浄閑寺正門、一番下が投込寺と云われた所以を残す門になります。

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2008.02.21

*下町まちしるべ その1

旧山谷地区には三ノ輪は含まれませんが、三ノ輪の地名は古く、江戸時代以前から存在します。奥東京湾に突き出た台地の先端部であることから『水の鼻』といわれ、いつしか三ノ輪になったとのこと。徳川家康が入府するまで隅田川岸は一面の葦原で、上野台と待乳山の高台を除けば雨が降るとたちまち河川が溢れ、大水となりました。家康は灌漑、治水工事を積極的に行い、隅田川は関東各地の産物を集積し、人と文化の交流に大いに寄与しました。時は流れ、慶応4年、江戸を去る最後の将軍徳川慶喜は、三ノ輪橋のたもとで山岡鉄舟らの見送りを受けます。橋は昭和初年まで、今はなき音無川に架かっていましたが、現在は都電荒川線の停留所にその名が残っているだけです。Photo 1_3 2 真ん中の画像では緑の区域が、右は台東区全域を示し赤丸で囲んだ区域が、旧三ノ輪町です。Photo_2

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大関横丁(東京メトロ三ノ輪駅)の交差点には三ノ輪橋駅の案内版が立ち、それを辿ると、ジョイフル三ノ輪商店街の入口手前に駅が姿を現します。(ちなみに関東の駅百選に三ノ輪橋駅が選ばれています)

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2008.02.19

*平均倍率「7.4」でした

先週の金曜日(2月15日)、センターでは山谷地域における都営住宅特別割当の抽選会(平成19年度第2回)を開催し、滞りなく終了いたしました。この募集は都営住宅の一般公募とは別に、簡易宿泊所等に宿泊している方を対象に入居希望者を募り、入居予定者を決定します。今回は単身者向け住宅20戸を募集し、148名の申込みがあり、最高倍率は40倍、最低が2倍でした。会場内では抽選器からポトリと落ちる玉が当落を分け、ガッツポーズが出たり、ため息がこぼれたりと、一喜一憂する姿がありました。PhotoPhoto_10 Photo_11    Photo_9   Photo_14 1_5 申し込まれた方々は2~3畳の個室で生活してきた方々が大半ですので、当選して新居に移る際は、地域のコミュニティの輪に溶け込み、第二の人生を着実に歩んでいただけたら、との思いを強くしました。山谷に愛着を持ち続ける方も多いので、「住めば都」と前向きに考え、都鳥のようにまた舞い戻ってくるようなことがないように、と願います。。。

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2008.02.15

*バレンタイン

今週も、日本各地を寒波が襲い、底冷えする寒さとなっているようです。センター屋上でも、未明に張った霜が日中でも溶けずにいることがしばしばあり、寒さを物語っているようです。Photo 都内では昨日、穏やかな陽射しの日本晴れとなり、バレンタインDAYを祝う方々は春のような暖かい気分に浸ったのでしょうか。。。

山谷近辺ではそんな雰囲気を感じさせる場面を見つけるのは難しかったのですが、ケーキ屋さんのショーウインドウで、きらめくようなディスプレイに潤いを感じることができました。しかし街角の多くはごく当たり前の日常風景が淡々と流れていました。山谷通りを一歩、裏に入ると昼間から道路端に寝込んだままの人がいて・・・まるでビターチョコのようにほろ苦さを感じさせる情景でした。Photo_3 Photo_4

毛布をかけ、仮眠をとっていたと思われますが、いずれにしても道路上は危険この上なく、体に悪影響が出ます。午後には姿を見かけなかったのですが、安心して眠りにつける屋根のある場所を早く見つけて欲しいものです。

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2008.02.13

優勝は誰の手に・・・

センターでは、2月10日(日)に(社)有隣協会の協賛により、山谷地域の簡易宿所等で生活する方々を対象とした毎年恒例の『囲碁大会』を実施いたしました。雪が心配されましたが、抜けるような青空のもと、荒川区南千住5丁目の「ひろば館」で約20名ほどの参加者によりトーナメント方式の熱戦が繰り広げられました。対局指導はNHK囲碁シリーズのマイケル・レドモンド9段(日本棋院所属)をお招きして、個別のレベルに応じたきめ細かなご指導を賜ることができました。今日、世界80ヶ国以上で普及し、世界選手権も開催されている碁ですが、その歴史は古く、春秋時代の中国ではすでに成立していた模様で、日本には8世紀初めに伝来していたと思われます。そうした歴史背景から囲碁に由来する慣用表現も数多くあり、「傍目八目(おかめはちもく)」「一目おく」「下手・先手を打つ」「駄目押し」「八百長」「布石・捨て石」「死活」「大局観」など、勝負に関連した諺が現在も脈々と生きています。Photo_2 Photo_4   Photo_6 画像は左からポスター、ひろば館、トーナメント表、対局場面です。

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2008.02.12

*3大寄せ場

寄せ場(よせば)とは、日雇い労働の求人業者と求職者が多数集まる場所のことをいいます。その語源は先日テレビでも放映されましたが、江戸時代に幕府が石川島などに設けた訓練所で、無宿人等が技能習得を受ける人足寄場とされています。寄せ場が拡大、集約されるにつれ、大都市に簡易宿所も集中し、日本の三大寄せ場と言われる釜崎(大阪市西成区)、山谷(東京)、寿町(横浜市中区)が形成されるようになりました。センターでは定期的に他の寄せ場とも情報交換を行っていますが、1月末には日本最大の寄せ場である釜崎へ職員が視察見学に行ってきました。推定労働者数は15,000~20,000人を数え、平均年齢は53.8歳(H18年度)と山谷地区より10歳近く下回り、活気ある日雇市場を形成しています。画像は寄せ場の一部です。Photo_3 Photo_4 Photo_5 Photo_6 Photo_7 

上から順に、電光掲示板を見つめる求職者、求人ビラ、仕事(高齢者特別清掃)の紹介を受ける列、寄せ場内の食堂とそのメニューです。

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2008.02.04

*雪解けの朝

昨日は関東を中心に大雪となり、東京都心でも3センチの積雪を観測しましたが、東京では少しの雪でも社会生活に大きな影響が出るため、5センチ以上の積雪を大雪と呼ぶそうです。

明け方の冷え込みも厳しいものでしたが、センター窓口では朝6時前より仕事を求める多くの利用者の姿がありました。街角では空き缶回収を生業とする方が山積みの袋を提げながら、自転車で走り回る姿が。。。日陰では雪が凍結して滑りやすいので、どうぞ気をつけて、と心の中で念じました。また玉姫公園では暖をとる方の姿がありました。昨日から続いた氷点下の1日を無事に乗り切っていただけたのでしょうか・・・Photo Photo_2 Photo_3 画像は順にセンター屋上から見た山谷の街並み、雪道のアルミ缶回収、公園で暖をとる人、です。

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2008.02.01

*歴史と文化の散歩道Ⅱ

千住大橋の北詰(足立区側)には松尾芭蕉ゆかりの記念碑が立っています。元禄2年(1689年)、芭蕉は深川から舟に乗って千住に降り立ち、多数の門人に見送られながら、奥州・北陸を経て大垣に至る長途の旅に出立しました。古典文学史に名高い紀行文『おくのほそ道』はこの地から始まったのです。日本橋を起点とする日光・奥州街道には、江戸4宿のひとつ、千住宿が目前に軒を連ね、旅情もこみ上げたことでしょう。時に芭蕉46歳、涙の別れを矢立ての初句として、『行春や 鳥啼き 魚の目は 泪』としたためました。Photo_8 Photo_9 Photo_10 画像右は史跡「おくのほそ道矢立て初の碑」、 左は行程600里余、日数凡そ150日という「おくのほそ道行程図」です。Photo_11 Photo_12 Photo_14 また、橋の下のテラスは一般開放されており壁面画や往時の賑わいを偲ばせる千住の橋戸河岸の資料を見ることができます。

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